坊っちゃん - 【四】 - 《45》
くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それも飽《あ》きたから、寝られないまでも床《とこ》へはいろうと思って、寝巻に着換《きが》えて、蚊帳《かや》を捲《ま》くって、赤い毛布《けっと》を跳《は》ねのけて、とんと尻持《しりもち》を突《つ》いて、仰向《あおむ》けになった。
おれが寝るときにとんと尻持をつくのは小供の時からの癖《くせ》だ。
わるい癖だと云って小川町《おがわまち》の下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の書生が苦情を持ち込《こ》んだ事がある。
法律の書生なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、愚《ぐ》な事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない。
下宿の建築が粗末《そまつ》なんだ。
掛《か》ケ合うなら下宿へ掛ケ合えと凹《へこ》ましてやった。
この宿直部屋は二階じゃないから、いくら、どしんと倒《たお》れても構わない。
なるべく勢《いきおい》よく倒れないと寝たような心持ちがしない。
ああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。
ざらざらして蚤《のみ》のようでもないからこいつあと驚《おど》ろいて、足を二三度|毛布《けっと》の中で振《ふ》ってみた。
するとざらざらと当ったものが、急に殖《ふ》え出して脛《すね》が五六カ所、股《もも》が二三カ所、尻の下でぐちゃりと踏《ふ》み潰《つぶ》したのが一つ、臍《へそ》の所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚ろいた。
早速《さっそく》起き上《あが》って、毛布《けっと》をぱっと後ろへ抛《ほう》ると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した。
正体の知れない時は多少気味が悪《わ》るかったが、バッタと相場が極《き》まってみたら急に腹が立った。
バッタの癖に人を驚ろかしやがって、どうするか見ろと、いきなり括《くく》り枕《まくら》を取って、二三度|擲《たた》きつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よく抛《な》げつける割に利目《ききめ》がない。
仕方がないから、また布団の上へ坐《すわ》って、煤掃《すすはき》の時に蓙《ござ》を丸めて畳《たたみ》を叩《たた》くように、そこら近辺を無暗にたたいた。
バッタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩《かた》だの、頭だの鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。
顔へ付いた奴《やつ》は枕で叩く訳に行かないから、手で攫《つか》んで、一生懸命に擲きつける。
忌々《いまいま》しい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答がない。
バッタは擲きつけられたまま蚊帳へつらまっている。
死にもどうもしない。
ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治《たいじ》た。
箒《ほうき》を持って来てバッタの死骸《しがい》を掃き出した。
小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼《か》っとく奴がどこの国にある。
間抜《まぬけ》め。
と叱《しか》ったら、私は存じませんと弁解をした。
存じませんで済むかと箒を椽側《えんがわ》へ抛《ほう》り出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。