坊っちゃん - 【七】 - 《117》
一人は女らしい。
おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離《きょり》に逼った時、男がたちまち振り向いた。
月は後《うしろ》からさしている。
その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。
男と女はまた元の通りにあるき出した。
おれは考えがあるから、急に全速力で追っ懸《か》けた。
先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆるゆる歩を移している。
今は話し声も手に取るように聞える。
土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。
おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖《そで》を擦《す》り抜《ぬ》けざま、二足前へ出した踵《くびす》をぐるりと返して男の顔を覗《のぞ》き込《こ》んだ。
月は正面からおれの五分|刈《がり》の頭から顋の辺《あた》りまで、会釈《えしゃく》もなく照《てら》す。
男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促《うな》がすが早いか、温泉《ゆ》の町の方へ引き返した。