坊っちゃん - 【七】 - 《98》
車屋が、どちらへ参りますと云うから、だまって尾《つ》いて来い、今にわかる、と云って、すたすたやって来た。
面倒《めんどう》だから山城屋へ行こうかとも考えたが、また出なければならないから、つまり手数だ。
こうして歩いてるうちには下宿とか、何とか看板のあるうちを目付け出すだろう。
そうしたら、そこが天意に叶《かな》ったわが宿と云う事にしよう。
とぐるぐる、閑静《かんせい》で住みよさそうな所をあるいているうち、とうとう鍛冶屋町《かじやちょう》へ出てしまった。
ここは士族|屋敷《やしき》で下宿屋などのある町ではないから、もっと賑《にぎ》やかな方へ引き返そうかとも思ったが、ふといい事を考え付いた。
おれが敬愛するうらなり君はこの町内に住んでいる。
うらなり君は土地の人で先祖代々の屋敷を控《ひか》えているくらいだから、この辺の事情には通じているに相違《そうい》ない。
あの人を尋《たず》ねて聞いたら、よさそうな下宿を教えてくれるかも知れない。
幸《さいわい》一度|挨拶《あいさつ》に来て勝手は知ってるから、捜《さ》がしてあるく面倒はない。
ここだろうと、いい加減に見当をつけて、ご免《めん》ご免と二返ばかり云うと、奥《おく》から五十ぐらいな年寄《としより》が古風な紙燭《しそく》をつけて、出て来た。
おれは若い女も嫌《きら》いではないが、年寄を見ると何だかなつかしい心持ちがする。
大方|清《きよ》がすきだから、その魂《たましい》が方々のお婆《ばあ》さんに乗り移るんだろう。
これは大方うらなり君のおっ母《か》さんだろう。
切り下げの品格のある婦人だが、よくうらなり君に似ている。
まあお上がりと云うところを、ちょっとお目にかかりたいからと、主人を玄関《げんかん》まで呼び出して実はこれこれだが君どこか心当りはありませんかと尋ねてみた。
うらなり先生それはさぞお困りでございましょう、としばらく考えていたが、この裏町に萩野《はぎの》と云って老人夫婦ぎりで暮《く》らしているものがある、いつぞや座敷《ざしき》を明けておいても無駄《むだ》だから、たしかな人があるなら貸してもいいから周旋《しゅうせん》してくれと頼《たの》んだ事がある。
今でも貸すかどうか分らんが、まあいっしょに行って聞いてみましょうと、親切に連れて行ってくれた。