坊っちゃん - 【八】 - 《119》
無い事を種に下宿を出ろと云われた時は、いよいよ不埒《ふらち》な奴《やつ》だと思った。
ところが会議の席では案に相違《そうい》して滔々《とうとう》と生徒|厳罰論《げんばつろん》を述べたから、おや変だなと首を捩《ひね》った。
萩野《はぎの》の婆《ばあ》さんから、山嵐が、うらなり君のために赤シャツと談判をしたと聞いた時は、それは感心だと手を拍《う》った。
この様子ではわる者は山嵐じゃあるまい、赤シャツの方が曲ってるんで、好加減《いいかげん》な邪推《じゃすい》を実《まこと》しやかに、しかも遠廻《とおまわ》しに、おれの頭の中へ浸《し》み込《こ》ましたのではあるまいかと迷ってる矢先へ、野芹川《のぜりがわ》の土手で、マドンナを連れて散歩なんかしている姿を見たから、それ以来赤シャツは曲者《くせもの》だと極《き》めてしまった。
曲者だか何だかよくは分《わか》らないが、ともかくも善《い》い男じゃない。
表と裏とは違《ちが》った男だ。
人間は竹のように真直《まっすぐ》でなくっちゃ頼《たの》もしくない。
真直なものは喧嘩《けんか》をしても心持ちがいい。
赤シャツのようなやさしいのと、親切なのと、高尚《こうしょう》なのと、琥珀《こはく》のパイプとを自慢《じまん》そうに見せびらかすのは油断が出来ない、めったに喧嘩も出来ないと思った。
喧嘩をしても、回向院《えこういん》の相撲《すもう》のような心持ちのいい喧嘩は出来ないと思った。
そうなると一銭五厘の出入《でいり》で控所《ひかえじょ》全体を驚《おど》ろかした議論の相手の山嵐の方がはるかに人間らしい。
会議の時に金壺眼《かなつぼまなこ》をぐりつかせて、おれを睨《にら》めた時は憎《にく》い奴だと思ったが、あとで考えると、それも赤シャツのねちねちした猫撫声《ねこなでごえ》よりはましだ。
実はあの会議が済んだあとで、よっぽど仲直りをしようかと思って、一こと二こと話しかけてみたが、野郎《やろう》返事もしないで、まだ眼《め》を剥《むく》ってみせたから、こっちも腹が立ってそのままにしておいた。