坊っちゃん - 【二】 - 《30》
これは文学士だそうだ。
文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。
妙《みょう》に女のような優しい声を出す人だった。
もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣《しゃつ》を着ている。
いくらか薄《うす》い地には相違《そうい》なくっても暑いには極ってる。
文学士だけにご苦労千万な服装《なり》をしたもんだ。
しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿《ばか》にしている。
あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。
妙な病気があった者だ。
当人の説明では赤は身体《からだ》に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂《あつ》らえるんだそうだが、入らざる心配だ。
そんならついでに着物も袴《はかま》も赤にすればいい。
それから英語の教師に古賀《こが》とか云う大変顔色の悪《わ》るい男が居た。
大概顔の蒼《あお》い人は瘠《や》せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。
昔《むかし》小学校へ行く時分、浅井《あさい》の民《たみ》さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。
浅井は百姓《ひゃくしょう》だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子《とうなす》ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。
それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬《むく》いだと思う。
この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違《ちが》いない。
もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。
清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。
大方清も知らないんだろう。
それからおれと同じ数学の教師に堀田《ほった》というのが居た。
これは逞《たくま》しい毬栗坊主《いがぐりぼうず》で、叡山《えいざん》の悪僧《あくそう》と云うべき面構《つらがまえ》である。
人が叮寧《ていねい》に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給《きたま》えアハハハと云った。
何がアハハハだ。
そんな礼儀《れいぎ》を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。
おれはこの時からこの坊主に山嵐《やまあらし》という渾名《あだな》をつけてやった。
漢学の先生はさすがに堅《かた》いものだ。
昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精《れいせい》で、――とのべつに弁じたのは愛嬌《あいきょう》のあるお爺《じい》さんだ。
画学の教師は全く芸人風だ。
べらべらした透綾《すきや》の羽織を着て、扇子《せんす》をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉《うれ》しい、お仲間が出来て……私《わたし》もこれで江戸《えど》っ子ですと云った。
こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。
そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。
しかし際限がないからやめる。