坊っちゃん - 【一】 - 《8》
それにもかかわらずあまりおやじを怖《こわ》いとは思わなかった。
かえってこの清と云う下女に気の毒であった。
この下女はもと由緒《ゆいしょ》のあるものだったそうだが、瓦解《がかい》のときに零落《れいらく》して、つい奉公《ほうこう》までするようになったのだと聞いている。
だから婆《ばあ》さんである。
この婆さんがどういう因縁《いんえん》か、おれを非常に可愛がってくれた。
不思議なものである。
母も死ぬ三日前に愛想《あいそ》をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾《つまはじ》きをする――このおれを無暗に珍重《ちんちょう》してくれた。
おれは到底《とうてい》人に好かれる性《たち》でないとあきらめていたから、他人から木の端《はし》のように取り扱《あつか》われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審《ふしん》に考えた。
清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真《ま》っ直《すぐ》でよいご気性だ」と賞《ほ》める事が時々あった。
しかしおれには清の云う意味が分からなかった。
好《い》い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。
清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌《きら》いだと答えるのが常であった。
すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺《なが》めている。
自分の力でおれを製造して誇《ほこ》ってるように見える。
少々気味がわるかった。