坊っちゃん - 【七】 - 《110》
早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内へ馳《か》け込《こ》んで来たものがある。
見れば赤シャツだ。
何だかべらべら然たる着物へ縮緬《ちりめん》の帯をだらしなく巻き付けて、例の通り金鎖《きんぐさ》りをぶらつかしている。
あの金鎖りは贋物《にせもの》である。
赤シャツは誰《だれ》も知るまいと思って、見せびらかしているが、おれはちゃんと知ってる。
赤シャツは馳け込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符|売下所《うりさげじょ》の前に話している三人へ慇懃《いんぎん》にお辞儀《じぎ》をして、何か二こと、三こと、云ったと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫足《ねこあし》にあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗り後れやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。
あの時計はたしかかしらんと、自分の金側《きんがわ》を出して、二分ほどちがってると云いながら、おれの傍《そば》へ腰を卸《おろ》した。
女の方はちっとも見返らないで杖《つえ》の上に顋《あご》をのせて、正面ばかり眺《なが》めている。
年寄の婦人は時々赤シャツを見るが、若い方は横を向いたままである。
いよいよマドンナに違いない。