坊っちゃん - 【九】 - 《152》
海屋の懸物の前に狸《たぬき》が羽織《はおり》、袴《はかま》で着席すると、左に赤シャツが同じく羽織袴で陣取《じんど》った。
右の方は主人公だというのでうらなり先生、これも日本服で控《ひか》えている。
おれは洋服だから、かしこまるのが窮屈《きゅうくつ》だったから、すぐ胡坐《あぐら》をかいた。
隣《とな》りの体操《たいそう》教師は黒ずぼん[#「ずぼん」に傍点]で、ちゃんとかしこまっている。
体操の教師だけにいやに修行が積んでいる。
やがてお膳《ぜん》が出る。
徳利《とくり》が並《なら》ぶ。
幹事が立って、一言《いちごん》開会の辞を述べる。
それから狸が立つ。
赤シャツが起《た》つ。
ことごとく送別の辞を述べたが、三人共申し合せたようにうらなり君の、良教師で好人物な事を吹聴《ふいちょう》して、今回去られるのはまことに残念である、学校としてのみならず、個人として大いに惜しむところであるが、ご一身上のご都合で、切に転任をご希望になったのだから致《いた》し方《かた》がないという意味を述べた。
こんな嘘《うそ》をついて送別会を開いて、それでちっとも恥《はず》かしいとも思っていない。
ことに赤シャツに至って三人のうちで一番うらなり君をほめた。
この良友を失うのは実に自分にとって大なる不幸であるとまで云った。
しかもそのいい方がいかにも、もっともらしくって、例のやさしい声を一層やさしくして、述べ立てるのだから、始めて聞いたものは、誰でもきっとだまされるに極《きま》ってる。
マドンナも大方この手で引掛《ひっか》けたんだろう。
赤シャツが送別の辞を述べ立てている最中、向側《むかいがわ》に坐っていた山嵐がおれの顔を見てちょっと稲光《いなびかり》をさした。
おれは返電として、人指し指でべっかんこうをして見せた。