坊っちゃん - 【三】 - 《37》
お茶を入れると云うからご馳走《ちそう》をするのかと思うと、おれの茶を遠慮《えんりょ》なく入れて自分が飲むのだ。
この様子では留守中《るすちゅう》も勝手にお茶を入れましょうを一人《ひとり》で履行《りこう》しているかも知れない。
亭主が云うには手前は書画骨董《しょがこっとう》がすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。
あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。
ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧誘《かんゆう》をやる。
二年前ある人の使《つかい》に帝国《ていこく》ホテルへ行った時は錠前《じょうまえ》直しと間違《まちが》えられた事がある。
ケットを被《かぶ》って、鎌倉《かまくら》の大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。
その外|今日《こんにち》まで見損《みそくな》われた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。
大抵《たいてい》はなりや様子でも分る。
風流人なんていうものは、画《え》を見ても、頭巾《ずきん》を被《かぶ》るか短冊《たんざく》を持ってるものだ。
このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者《くせもの》じゃない。
おれはそんな呑気《のんき》な隠居《いんきょ》のやるような事は嫌《きら》いだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手付《てつき》をして飲んでいる。
実はゆうべ茶を買ってくれと頼《たの》んでおいたのだが、こんな苦い濃《こ》い茶はいやだ。
一|杯《ぱい》飲むと胃に答えるような気がする。
今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。
人の茶だと思って無暗《むやみ》に飲む奴《やつ》だ。
主人が引き下がってから、明日の下読《したよみ》をしてすぐ寝《ね》てしまった。