坊っちゃん - 【七】 - 《106》
まだ見てお出《い》でるのかなもし。
えっぽど長いお手紙じゃなもし、と云ったから、ええ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳《ぜん》についた。
見ると今夜も薩摩芋《さつまいも》の煮《に》つけだ。
ここのうちは、いか銀よりも鄭寧《ていねい》で、親切で、しかも上品だが、惜《お》しい事に食い物がまずい。
昨日も芋、一昨日《おととい》も芋で今夜も芋だ。
おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、こう立てつづけに芋を食わされては命がつづかない。
うらなり君を笑うどころか、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。
清ならこんな時に、おれの好きな鮪《まぐろ》のさし身か、蒲鉾《かまぼこ》のつけ焼を食わせるんだが、貧乏《びんぼう》士族のけちん坊《ぼう》と来ちゃ仕方がない。
どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目《だめ》だ。
もしあの学校に長くでも居る模様なら、東京から召《よ》び寄《よ》せてやろう。
天麩羅|蕎麦《そば》を食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。
禅宗《ぜんしゅう》坊主だって、これよりは口に栄耀《えよう》をさせているだろう。
――おれは一皿の芋を平げて、机の抽斗《ひきだし》から生卵を二つ出して、茶碗《ちゃわん》の縁《ふち》でたたき割って、ようやく凌《しの》いだ。
生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。