坊っちゃん - 【八】 - 《129》
それでお母さんも安心して、今に増給のご沙汰《さた》があろぞ、今月か来月かと首を長くして待っておいでたところへ、校長さんがちょっと来てくれと古賀さんにお云いるけれ、行ってみると、気の毒だが学校は金が足りんけれ、月給を上げる訳にゆかん。
しかし延岡になら空いた口があって、そっちなら毎月五円余分にとれるから、お望み通りでよかろうと思うて、その手続きにしたから行くがええと云われたげな。
――」
「じゃ相談じゃない、命令じゃありませんか」
「さよよ。
古賀さんはよそへ行って月給が増すより、元のままでもええから、ここに居《お》りたい。
屋敷もあるし、母もあるからとお頼みたけれども、もうそう極めたあとで、古賀さんの代りは出来ているけれ仕方がないと校長がお云いたげな」
「へん人を馬鹿《ばか》にしてら、面白《おもしろ》くもない。
じゃ古賀さんは行く気はないんですね。
どうれで変だと思った。
五円ぐらい上がったって、あんな山の中へ猿のお相手をしに行く唐変木《とうへんぼく》はまずないからね」
「唐変木て、先生なんぞなもし」
「何でもいいでさあ、――全く赤シャツの作略《さりゃく》だね。
よくない仕打《しうち》だ。
まるで欺撃《だましうち》ですね。
それでおれの月給を上げるなんて、不都合《ふつごう》な事があるものか。
上げてやるったって、誰が上がってやるものか」
「先生は月給がお上りるのかなもし」
「上げてやるって云うから、断《こと》わろうと思うんです」
「何で、お断わりるのぞなもし」
「何でもお断わりだ。
お婆さん、あの赤シャツは馬鹿ですぜ。
卑怯《ひきょう》でさあ」
「卑怯でもあんた、月給を上げておくれたら、大人《おとな》しく頂いておく方が得ぞなもし。
若いうちはよく腹の立つものじゃが、年をとってから考えると、も少しの我慢《がまん》じゃあったのに惜しい事をした。
腹立てたためにこないな損をしたと悔《くや》むのが当り前じゃけれ、お婆の言う事をきいて、赤シャツさんが月給をあげてやろとお言いたら、難有《ありがと》うと受けておおきなさいや」
「年寄《としより》の癖に余計な世話を焼かなくってもいい。
おれの月給は上がろうと下がろうとおれの月給だ」